○ 西洋好の聴取
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年頃は三十四五の男、色浅黒けれど、シャボンを朝夕使うと見えてあくぬけて色艶よく、あたまはなでつけか総髪にでもなるところが百日このかた生やしたるを右のかたへ撫でつけ、もっともオーテコロリといえる香水を使うとみえて髪の毛のつやよく、わげは格別大きからず。絹衣の道行ぶりに唐糸双子の綿入れまがい。更紗の下着、裏は張り返しの額裏なるべし。カナキンで張りたるこうもり傘をかたわらへ置き、苦しい算段にて求めたる袖時計の安物をえりから外して時々ときを見るはそっちのけ、実は他のものへ見せかけなり。ただし鎖は金のてんぷらと見えたり。隣りに牛を食いている客に話をしかける。
「モシあなたエ、
牛は
至極高味でごすネ。この肉がひらけちゃア、ぼたんや
紅葉は喰えやせん。こんな清潔なものをなぜいままで喰わなかったのでごウしょう。西洋では干六百二三十年前からもっぱら喰うようになりやしたが、その前は牛や羊はその国の王か全権と云ッて家老のような人でなけりゃア平人の口へは
這入りゃせんのサ。追々我国も文明開化と
号ッてひらけてきやしたから、我々までが喰うようになったのは実にありがたいわけでごス。それを未だに野蛮の
弊習と云ッてネ、ひらけねえ奴等が、肉食をすりゃア
神仏へ手が合わされねえの、ヤレ
穢れるのと、わからねえ
野暮を言うのは究理学を
弁えねえからのことでげス。そんな
夷に福澤の
著た肉食の説でも読せてえネ、モシ、西洋にゃアそんなことはごウせん。
この人ござりませんをごウせん、ござりますをげスなど言う癖あり。あっちはすべて理で押して行く国柄だから、蒸気の船や車の仕掛けなんざァおそれいったもんだネ。既にごろうじろ。
伝信機の針の先で新聞紙の銅板を彫ったり、風船で空から風を持ってくる
工風は妙じゃアごうせんか。あれはネ、モシ、こういう訳でごぜえス。地球の図の中に暖帯と書いてありやす国があるがネ、あすこが赤道と言って日の照りの近イ土地だから暑いことはたまらねえ、そこでもって国の人が日に焼けて
皆な黒ん坊サ。それだからその国の王がいろいろ工風をして風船というものを造って、大きな円い袋の中へ風をはらませて、空から降ろすとその袋の口を開きやすネ。すると大きな袋へ一杯はらませてきた風だから、四方八方へ広がって国の内が涼しくなるという工風でごス。まだ奇妙なことがありやす。
魯西亜なンぞというごく寒い国へ行くと、寒中は勿論夏でも雪が降ったり氷が張るので往来ができやせん。そこでかの蒸気車といふものを工風しやしたが、感心なものサネ、
一体蒸気車と
云うものは地獄の火の車から考え出したのだそうだが、大勢をくるまへのせて、車の下へ
火筒をつけて、そのなかで石炭をどんどん焚くから、くるまの上に乗っている大勢は、寒気を忘れて
遠道の通行ができやしょう、ナント考えたものサネ。何サ、このくれえな工風はあっちの
徒はちゃぶちゃぶ前でげス。この大千世界の
形象せえ混沌として
毬の如しと考えたはサ。その以前は釈迦如來が
須弥山と
号けたところが、西洋人はまんまんたる海上を渡って世界の果てから果てまでを見きわめたのだから、釈迦坊も後悔したそうサ。そこでもって海を渡る工風を西洋じゃア後悔術と言いやすはナ。オヤ、モウ
御帰路か、ハイさようなら、オイオイ、ねえさん、
生で一合。
葱も一緒に頼む頼む
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