2013年3月31日日曜日

安愚楽鍋 ○鄙武士の独盃

鄙武士いなかぶし独盃ひとりのみ

▲ 年頃は三十ばかり。色あくまで黒く、あたまは自びんの草たばね、もっとも総髪の火のつきそうな乱れ髪。黒木綿の紋付とんつく布子に、小倉の汚れ腐ったる袴。短き一本刀のつかの汚れを厭うか、あるいはつか糸のほつれを隠さんためか、白木綿しろもめんにてぐるぐると巻きつけ、つんつるてんの着物を腕まくりして斜にかまえ、よほど酔いが回りしと見えて、割り箸の先にたれの付きたるを二本つかみて、手拍子を打ちながら大きなどす声にて、
詩「衣はかんにいたりイ、そではアわんにいたるウ。腰間ようかん秋水しゅうすい。鉄をきるべしイ。人触ふるれば人をきり。馬ふるれば馬を斬るウ。十八交まじはりをむすぶ健児の社ア引。ヤ是ヤ女子おなご、酒ェ持てこずかイ。こやこや、そしてナ、なま和味やっこいのをいま一皿いちめえくれンカ。アア愉快じゃ愉快じゃ、トあたりをきょろきょろ見回して隣りに居たる侍をじろり見やり、崩したる膝を立て直し、ハア失敬ごめん、コヤ女子おなご、なにを因循いんじゆん=マゴマゴしておるか。勉強=ツトメして神速しんそく=スミヤカにせい、ト言いながら又こちらの侍に打ち向かい、君、牛肉は至極御好物と推察のウつかまつるが、僕なぞも誠実せいじつ=マコトニ賞味いたすでござる。イヤ、かかる物価沸騰の時勢に及ンで、割烹店かつぽうてん=リヤウリヤなどへまかりこすなんちう義は、所謂いわゆる激発げきはつ=ヤケニナルの徒でござる。この牛肉チウ物は高味極まるのみならず、開化滋養の食料でござるテ。イヤ何かと申して失敬、御免。コヤコヤ女子おなご。一寸来ンか、コヤ。あのうナ、生肉せいにくをナ、一斤ばかり持参いたすンで、至極の正味を周旋いたイてくれイ。アア酩酊きわまッた。オオ生肉か、ええわ、ええわ。会計はなんぼか。甚句「愉快きわまる陣屋の酒宴しゅえんなかにますら雄美少年引、ト鼻歌を歌いながら荒々しく刀を下げ、竹の皮づつみをつかにかけて、女子おなごまた来るぞ、トほうの木ばの履き物がらがら表へ立ち出で、うた「しきしまのやまとごころを人問わばアヽヽヽヽ、あさひにイ、匂うウ、山さくら花アヽヽヽ引

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