はしがき
円遊は近世落語界の奇才である。円喬名人と雖も人気に於いて円遊の敵でなく、小さん、左楽一方の雄なれどもその全盛遠く円遊と肩を
比ぶることは出来ぬ。円遊の落語はダラシが無く他愛もないようだけど、そのダラシが無く他愛の無いところに
価値があるのだ。今や彼は白玉楼中の人となって、またあの様な水際の立った流麗なしかも奇抜な落語を聴くことが出来ぬ。唯一速記に依って彼の口調面影をうかがうことが出来るのだが今次円遊落語集の刊行に当って往時を追想して一言を巻首に題したのである。
(翠生記)
故三遊亭円遊身上噺 小野田翠雨編
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円遊は神田紺屋町の紺屋の倅で竹内金太郎と申しまして、これでも生粋の江戸っ子でございます、子供のうちから落語が好きでどうしても手の先を青くして染物などをしている気はありません、そこで家を弟に譲って身を落語界に投じましたが、ずいぶん苦しい修業をしました。
▲その頃三遊亭円朝さんが芝居話で大層売出していたので、円朝師の門に入り、円朝さんがトリにシンミリした人情話をやって客を泣かせる、
円遊はその前に高座に上がって誠に他愛もない毒にも薬にもならないお話をしてお客を笑わせる、
円遊がお客の気に入ったのは、ステテコを踊ったのが始まりでございます。
▲「円遊ステテコ、談志の釜堀りテケレッツノパ」と
俗歌にまでうたわれました位で、
円遊のステテコと、談志のテケレツノパとはその当時自慢じゃありませんが、場内割れるばかりの喝采でございました。
円遊のステテコは色々種類がありまして、立ったステテコ、座ったステテコ、横のステテコ、竪のステテコ、いざりのステテコ、生酔のステテコ、病人のステテコ、士族のステテコ、町人のステテコ、金持ちのステテコ、貧乏人のステテコ、沢山ございますが、その中でも得意なのはいざりのステテコ、生酔のステテコ、この二つなんざァお客をずいぶん笑わせました。
▲それから
円遊の愛嬌なのはこの鼻でげす、高座へ上がるとこの大きな鼻を右の手がツルリと撫でる、お客様が「もう一度撫でろ」と仰る、「よい来た」と一度撫でる、お客様が「もう一つ負けろ」と仰る、お負けを一つ撫でる、今度は「付録ッ」と仰る、付録に撫でる、「号外ッ」と仰る、「宜しいッ」と号外にまた撫でる、なんで高座へ上がってから五六度は鼻を撫でます、それから鼻の講釈を始める。
▲「エエ
円遊の鼻は御覧の通りはなはだ大きい、しかし人間万事はなの世の中、兎角世間ははなに酒、はなかしこ、はなかしこ………」などと下らないことを言って誤魔化していてもお客様はお喜びになる。
▲円遊の新作の落語は、地獄旅行、素人人力、成田小僧、野晒し、テレテレテレ、全快、薬力、金魚の
拝謁、梅見の
薬缶、天産株式会社、明治の浦島、龍の旅行などで、兎角落語の新作というものは難しいものでございます。
▲落語などは猶更時勢に合わして往かなけれァならぬもので、その新作をやるものが今日の落語家に皆無であるのはなんとも嘆かわしい次第であります、しかし新作が難しいと言えば言うものの、少し頓智を利かせれば直ぐに出来る。例えば男女同権という言葉が流行れば、
男「ヤイヤイ女房、なんだって手前は俺の留守に芝居に行ったり寄席へ行ったり遊んでばかりいるんだ」 女「お前だって毎日毎晩家に居たことがないじゃないか」 男「亭主が遊んで歩くたって女房まで家を留守にする奴があるものか」 女「イイエ男女同権だよ」 男「生意気なことを言やがる」ポカリと女房の頭をなぐる 女「エー口惜しい口惜しい、同権だ同権だ」と
突然亭主の向う脛へ喰い付く、これじゃァ同権でなくって狂犬でございます。
といったようにやればよいのです。
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円遊が柳橋へ芸者屋を出したり、いろいろ失敗した可笑しいお話も沢山ございますが、大抵新聞や雑誌に出ましたから申し上げません。