○野幇間の諂諛
▲年頃は三十二三。顔細長く背のひょろりとした男、藍微塵のお召し縮緬、唐更紗は縁ばかりの下タ着に揃え、絹縮の栗梅に染めた羽織へ小さく五ツ所紋を付け、上州博多の船格子、糊の強い帯を締め、まがい珊瑚樹の緒締めを付けたる黒桟の一ツ下げ、根付は角にて唐獅子をつくりたる古風な細工。煙管は石州張りのてんぷらなり。ときどき眉毛を上げ下げして口をつぼめて物を云う癖あり○連れはかねて得意の客とおぼしく浅草の地内あたりで行き会い、取り巻きて離れぬ様子。
のづ八「モシ若旦那どうでげス、このせつはでえぶ
柳橋辺でお浮かれ筋じゃアごぜえせんか、エエ、モシ。あまり迷わせすぎると罪になりやすぜ。柳の筋は
誰でごぜえス、白状、白状。オット忘れたり忘れたり、二三日めえに嶋原の晩花から
飛札到來、すなわちたねはここに
有馬の人形筆、
っと懐中の紙入れよりうやうやしく文を出して見せかけ、エモシ、あの
娼妓はあなたにゃア勤めをはなれた仕打ちでげスぜ。イエサ、油をかけるなんぞというのは一通りのお客でげス。あなたと
拙がその中は、昨日や今日のことじやない、ツマアお聞きなせえし。この
間内證の
千臆さん
晩花楼主人の俳名をしかいうへ
甘海宗匠からの伝言を頼まれやしたから、一寸顔を出したついでに
楼上へ
参ツたところが、
私を見るとおいらんが、野図八さん
浮さんと
同伴かえ、と次の間へ駆け出してきなすッたから、
私が一番だまを喰らわせて、ヘイ浮さんは今さめや
清元栄喜の宅引手茶屋なりへ寄っておいでなさるから、すぐに跡からモシおいらん
御愉快。なんぞお
饗応なさいと
十八番の
銕をきめると、アア待ってくんなヨ、となにかそわそわしながら新造衆に耳こすりサ。
私は尾車さんや連山さんのところを廻ってくるうちに金花楼の珎味たっぷり手形の「びいる」が一本と現れやした。ところでしゃアしゃアと御馳走頂戴の間がおよそ西洋時計一字三ミニウトばかりのひまだから、
娼妓の
曰。のづ八さん、うきさんはどうしなましたろう、あんまりひまがとれるのだヨ、と言われてハツと胸にくぎ、露顕われぬうちこっちから切り上げ
揚貝ちょんちょんまく。ちょツくら
私がおむかいに。ゆきますさいづちたばねのし、廊下とんびも
羽をのして、スタスタ逃げてきたさのサッサ。モシ、今度はあなたとでもお供でねえと、見つかりゃアどんな目に会うかしれやせんヨ。アアあんまりしゃべって
咽が引っ付くようになりやした、息継ぎに茶碗で
一杯いただき
女郎衆はよい女郎衆、チト時代だがオットヽヽヽヽヽ、ごぜえすごぜえす、トぐっと飲んで頭を叩き、鍋の牛をむちゃむちゃ喰い、また箸を下へ置き、若旦那、若旦那ちょっとごらんなせえやし、隣りの
年間はサ、ちょっとあくぬけた
風俗だが、
牛をば平気、岡本で
食る達者サはありゃアただものじゃアごぜえせんぜ。なんでも
北里のお茶屋の妻君か、さもなけりゃア
山谷堀あたりの船宿の
女房かしらん、堀じゃア見かけねえ顔だがどうもわからねえ。オットほりと云やア
紫玉の
処へ絵短冊を客先から頼まれやしたから、今戸の弁次郎へ風炉の注文ながら
一昨日ちょっくら寄りやしたら、
外を藝の
有明楼行が二タ組ほど通りやす。たそやと見れば
豈はからん、モシそれ一件のネ、お猫サ。そらいつか大七からはしけて浜中屋へ連れ出した藝サ。ホンニおめえさんほど罪作りな冥利の悪いお方はごぜえませんぜ。
彼奴私を見ると
紫玉の敷居をまたいで、若旦那はどうなさいました、あれぎりじゃアあんまりでスから、モウ一ぺん後生でございますヨ、とあたりをはばかって手を合わして別れやした。ネモシ、あなたはどういう腕を出して婦人をお殺しなさるのでげス、実に不思議、妙でごぜえす。アアおそれべ、おそれべ。
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