2013年3月31日日曜日

安愚楽鍋 ○野幇間の諂諛

野幇間のだいこ諂諛おべツか

年頃としごろは三十二三。顔細長くせいのひょろりとした男、藍微塵あいみじんのお縮緬ちりめん唐更紗とうざらさへりばかりの下タ着に揃え、絹縮きぬちぢみ栗梅くりうめに染めた羽織へ小さく五ツ所紋を付け、上州博多の船格子、糊の強い帯を締め、まがい珊瑚樹の緒締めを付けたる黒桟くろざんの一ツ下げ、根付は角にて唐獅子をつくりたる古風な細工。煙管は石州張りのてんぷらなり。ときどき眉毛を上げ下げして口をつぼめて物をう癖あり○連れはかねて得意の客とおぼしく浅草の地内あたりで行き会い、取り巻きて離れぬ様子。
のづ八「モシ若旦那どうでげス、このせつはでえぶ柳橋辺りうきょうへんでお浮かれ筋じゃアごぜえせんか、エエ、モシ。あまり迷わせすぎると罪になりやすぜ。柳の筋はたれでごぜえス、白状、白状。オット忘れたり忘れたり、二三日めえに嶋原の晩花から飛札ひさつ到來、すなわちたねはここに有馬ありまの人形筆、っと懐中の紙入れよりうやうやしく文を出して見せかけ、エモシ、あの娼妓らんはあなたにゃア勤めをはなれた仕打ちでげスぜ。イエサ、油をかけるなんぞというのは一通りのお客でげス。あなたとせつがその中は、昨日や今日のことじやない、ツマアお聞きなせえし。このあいだ内證の千臆ちおくさん晩花楼主人の俳名をしかいう甘海かんかい宗匠からの伝言を頼まれやしたから、一寸顔を出したついでに楼上おにかいめえツたところが、わちきを見るとおいらんが、野図八さんうきさんと同伴いっしょかえ、と次の間へ駆け出してきなすッたから、わちきが一番だまを喰らわせて、ヘイ浮さんは今さめや清元栄喜の宅引手茶屋なりへ寄っておいでなさるから、すぐに跡からモシおいらん御愉快ごゆかい。なんぞお饗応おごんなさいと十八番おはこてつをきめると、アア待ってくんなヨ、となにかそわそわしながら新造衆に耳こすりサ。わちきは尾車さんや連山さんのところを廻ってくるうちに金花楼の珎味たっぷり手形の「びいる」が一本と現れやした。ところでしゃアしゃアと御馳走頂戴の間がおよそ西洋時計一字三ミニウトばかりのひまだから、娼妓らんいわく。のづ八さん、うきさんはどうしなましたろう、あんまりひまがとれるのだヨ、と言われてハツと胸にくぎ、露顕われぬうちこっちから切り上げ揚貝あげがいちょんちょんまく。ちょツくらわちきがおむかいに。ゆきますさいづちたばねのし、廊下とんびもをのして、スタスタ逃げてきたさのサッサ。モシ、今度はあなたとでもお供でねえと、見つかりゃアどんな目に会うかしれやせんヨ。アアあんまりしゃべってのどが引っ付くようになりやした、息継ぎに茶碗で一杯いっぺいいただき女郎衆じょろしゅはよい女郎衆、チト時代だがオットヽヽヽヽヽ、ごぜえすごぜえす、トぐっと飲んで頭を叩き、鍋の牛をむちゃむちゃ喰い、また箸を下へ置き、若旦那、若旦那ちょっとごらんなせえやし、隣りの年間としまはサ、ちょっとあくぬけた風俗こしれえだが、ぎゅうをば平気、岡本でしめる達者サはありゃアただものじゃアごぜえせんぜ。なんでも北里なかのお茶屋の妻君か、さもなけりゃア山谷堀ほりあたりの船宿の女房したぼうかしらん、堀じゃア見かけねえ顔だがどうもわからねえ。オットほりと云やア紫玉しぎょくとこへ絵短冊を客先から頼まれやしたから、今戸の弁次郎へ風炉の注文ながら一昨日おとといちょっくら寄りやしたら、おもてを藝の有明楼行ゆうめいろうゆくが二タ組ほど通りやす。たそやと見ればあにはからん、モシそれ一件のネ、お猫サ。そらいつか大七からはしけて浜中屋へ連れ出した藝サ。ホンニおめえさんほど罪作りな冥利の悪いお方はごぜえませんぜ。彼奴きやつわちきを見ると紫玉おんそうの敷居をまたいで、若旦那はどうなさいました、あれぎりじゃアあんまりでスから、モウ一ぺん後生でございますヨ、とあたりをはばかって手を合わして別れやした。ネモシ、あなたはどういう腕を出して婦人をお殺しなさるのでげス、実に不思議、妙でごぜえす。アアおそれべ、おそれべ。

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