○生文人の會話
▲ 近頃流行の書画会連中、年頃三十一二位、野暮なるこしらえ、身なりもさのみ悪きにはあらねど、世を見やぶったつもりにて着物も上下不揃いなるを意気地もなく着なし、黒の羽織、紫の太紐を胸高に結びて、見識は鼻柱とともに高く、かたわらに唐紙の巻きたると扇子の束ねたるをあめりか更紗の風呂敷に包みかけておき、下タ地よほど酒の匂いのあるは中村屋か萬八あたりの会くずれと見え、連れは誘いて連れ行きたるただの人物と見えたり。もっとも折々受け答えありと知るべし。
「アア今日の会は弱った弱った、あのように唐紙扇面の攻道具でとりまかれては、さすがの僕もがっかりだ。これだから近頃はどのように招かれても謝義ばかり持たせて書画会へは出ぬことと決めたが、今日は南溟老人が喜寿の
莚と言い、殊に南湖翁の三十三回の追福じゃから、先生が出て給わらなければ枕山松塘芦洲雪江東寧帆雨柳圃随庵桂洲波山の諸先生たちが不承知じゃからぜひに出席を願う、とわざわざ
扇面亭の善公と広小路の一庭が使者に来たので、やむを得ず出かけたところが、
肴札五枚掛けの一局へ合併して、一杯飲むが否や、どうか先生おあとで願います、と左右から扇面の鎗ぶすまサ。さてうるさいことだとギョッとしたが、かねて
期したことで、アアこれも会主への義理じゃと観念して、書画の注文でも扇面が
貳百疋、唐紙なら五百疋と
極札がついてある腕を、
一言の礼のみで
先四五本書かせられたと思いなさい。僕がからだの居まわりを雲霞のごとく取り巻いて、お跡で一本どうか諸先生の合作でござりますから一寸願いますの、ヤレ
遠国から頼まれました書画帖だの、とたちまち
扇紙の山をなしたは実にうるさい。はやく切り上げて脱しようと身じんまくをしている最中、隣の方で
生酔が喧嘩をはじめた騒ぎで人々が奔走する
間に早々下タヘ来ると、
膳所に
琴雅乙彦などいう
風流雄が
内食をきめている、むこうの隅には諏訪町の松本がエ何サ楓湖先生がサ芸者の房八を
合手に
大なまえいで、これから船で
上手へ出かけるから是非附き合えと困らせるので、ここにも足をとめることがならん。それはたまの附き合いだから止むを得ぬが、
明日は大藩の知事公から召されてお席に於て
絹地三幅対の
山水を即席にしたためンければならんから、チト付き合いは外すじゃが
後日、として
尊公の袖を引いて抜け出したが、なにか呑み足らんようじゃによって
牛店と決めたは中村のかまびすきところより落ちついて飲めるから妙だてナ、さてまず
春木氏の義理もすんだが、エエまた来月の
朔日は萬八で虚堂の展覧会、二日がコウト
寺嶋の梅隣亭で席画の約束、アアうるさいうるさい、実に
高名家には
誰がした、モウモウ
名聞は廃すべし廃すべし。オットヽヽヽ、こぼれる、こぼれる。
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